しっかりなんてするもんか

ちくしょう!しっかりなんてするもんか!

なにしてたんだよドルセラ

一年くらい放置して一体全体なにしてたんだよドルセラなになになになになにしてたんだよ服役かよおらおらおらという読者からのメールが多数寄せられたので久々に更新することにした。
いや嘘である。多数どころか一通もそんなメールは寄せられていないし、むしろ読者は減っているのである。そりゃ更新しないからね。そりゃあね。人間は非常でこの世は無情〜〜♪ だからこそ旅情〜を感じに行きたくなる心情に同情〜(これは最近ヒップホップが流行っているらしいので便乗してみた文章です。二度とやりません。)
でもあえて何かをしているというのであれば仕事だけは(ドルセラにしては珍しく)まだちゃんと続けているのである。その期間約一年半。どうだ長いだろう。フフフ・・・・・・・・・・・・・とそんな感じで、あとはいつも通り映画とかテレビドラマを見たり、日曜の夜に「人生とは…」って考えたりしながら日々過ごしているのである。最近は「人生とは…」の波、すなわち「人生とはヴァーグ(ヴァーグというのはフランス語で波のことですね)」が、日曜の夜→日曜の昼→ときて、さらには土曜日の夜あたりまできている。気付くと玄関前まで来ている。油断するとすぐそこまで来ているのである。来ているのであるよ。人生とはの波が、来ているのである。。。(ヴァーグが思ったよりかっこよくなかったので使うのを早速やめた)
勤続一年半にムムッと引っかかった読者もいるかもしれないが、私といえば、今だ!と思い立ったらすぐに会社を辞めることで(会社辞め界隈では)わりと有名な方だと思っていて、その名に恥じないように一昨年もいつでも夜逃げできるようにとリュックに最低限必要なものだけをいれて一人暮らしを始めたのだけれど、今の会社ではなかなかうまいことやっていて、まぁまぁそこそこ続いているのである。会社での私の態度といえば、気に入らないこと(残業が多い・朝が早い・もっと寝たい)があると時折辞める辞める詐欺を繰り返したり、大量に買い込んだ駄菓子を配ってコネ作りをしたり、深夜誰もいない会社でスピーカーで音楽を鳴らしオフィスの端まで走っていき、このくらいの音量だと音はどこまで聞こえるのかを計測したりと、会社からすると非常に迷惑な存在である。ちなみにビッグカツ(駄菓子)は食べづらいともっぱらの評判である。
それと全く関係ないけど午後の紅茶おいしい無糖という飲み物をご存知だろうか。これがなんだか最近非常にいい感じでよく会社で飲んでいるのである。無糖だから甘みはない。私は甘い飲み物が好きなのでおもしろくないし、美味しくない。非常につまらない。しかしそこがいい。美味しくないからあんまり飲まない、結果的に飲む量が減る、そういうところが好きだな。午後の紅茶おいしい無糖のそういうところが好きだな。この気持ち伝わってます?私は伝わってないと思います。コミュニケーションの不完全性がいま証明された?感じですね〜ええ〜〜。(IQ5の文章)
あとこの前会社の飲み会で、願い事が一つ叶うなら一体どうするのかとかいうファンシーな話題になった時に、「休みの日にとんかつ、しゃぶしゃぶ、ステーキあたりの自分の家では作ることのできないものが突然家に来てほしい。しかもできれば調理された状態で本人(料理)たちに来てほしい。来てくれてもチャイムまで届かないから(料理が)玄関のドアをノックするんだけど、そのせいでドアが焼き肉のタレでべたべたになって「まったくおまえはもう・・・」っていいながらドアを拭きたい。」いう普段からの願望を話してみたのだけれど、まるで体育教師みたいに話が通じなかったのである。そんな感じでした。ちなみに幹事でした。最後によくある幹事からの挨拶みたいなのを求められた時に、私はそういうのがとても苦手なので「えーみなさん・・解散!!」と言って無理やり終わらせました。
それとずっと気になってたブログの名前を変えることにした。(改札を出たり入ったり→しっかりなんてするもんか)改札は出てしまったのでもう使えないなと思ったからである。改札を出たというのは比喩表現ではなく、本当に実家を出てひとり暮らしをはじめたから、とかそういうことなのである。ずっと出られないと思っていた実家の改札が、戻ってくる場所でなくこちらから行く場所になったのである。
「しっかりなんてするもんか」と言えばこのブログの一番最初の記事のタイトルである。今その記事を改めて読んでみると、あの時の自分とはまた違った視点で見ることができた。それは、あれからある程度の時間が経ち、距離を保つことでやっと得られた、非常に客観的な視点である。
N子さんにはもう2度と会えないが、N子さんとの思い出は消えることはない。そのことがとっても辛く、本当に本当に苦しい。非常に悲しい出来事であり、しかしそれは、うまくいったであろう道が多々あったのにも関わらずそうでない道を自ら選んでしまった結果である。後悔するしかない事実である。しかし数年経った今、この距離から思い出すと、自分の心がその時これまでになくときめいたのもまた事実でもある。この出来事の悔しさが確実にプラスに働き、今の自分があるのもまた事実である。あの人にはもう2度と会えないが、あの人との思い出は消えることはない。それがこの先、希望となって時折自分を照らしてくれる存在になるのかもしれない。小さい頃行った遊園地、コナンの映画を見てドキドキが止まらなかった帰り道、父親が運転する車の中で母親としたしりとり、布団の中で眠らずに光るライトで姉と遊んだ夜、自転車でがむしゃらに走った一人旅行、作ったアニメの感想を貰えた上映会。そんな大切な出来事が入った宝物ボックスに、この出来事もいつか入れられる時が来るのかな。そうしたら「あの子に一生彼氏ができませんように!」とつぶやきながら一晩中クイックルワイパー(3パック)をかける夜もなくなるのかな。
そんなわけで去年も異性とのロマンティックな出来事は一切ありませんでした。(不要なカミングアウト)ええ〜〜い、グッバイ