しっかりなんてするもんか

ちくしょう!しっかりなんてするもんか!

えいがかんそうぶん ネブラスカ ふたりの心をつなぐ旅

yokosima_note からの転載です)

20140314

『ネブラスカ ふたつの心をつなぐ旅』[HD]映画予告編 - YouTube

ネブラスカ二人の心をつなぐ旅

監督のアレクサンダーペインは巨匠への次のステップを踏み出した!
アレクサンダーペインは自分が一番好きなアメリカの監督の一人である。しかし今回の試写会レビューなどをみると普通・・・期待しないでいくといい・・・みたいなコメントを多く見た(観賞後いつも巡回している映画ファンのブログレビューをみると皆大絶賛であったが)のと、前作のファミリーツリーが自分としては期待しすぎたのもあり悪くはない いやいいけど・・・いいけど・・・みたいな感想だったのもあり、かなり期待値低めで行った。
アレクサンダーペインというのはどんな監督か?簡単に説明するとアメリカの監督なのにアメリカらしくないむしろ日本! 黒澤明でも「生きる」が好きといったり小津のファンだったりする。いわゆるアクションや大きな展開などがない。心の動きや人間関係についての話である。家族をテーマにする作品が多い。おじさんやおばさん、中年を主役に設定する。真面目であるが難しくはなく、難解なテーマでもなく、誰もが一度は考えたである普遍的な悩みについて、積極的に笑いを用いて見る側の敷居をできる限り低くする。ドラマ、でも完全なるコメディ、でもなく、ヒューマンコメディ。今回の映画で気づかされたのは、自分の純潔の誓いのルールはこの人から一番影響を受けているのではないか?この人の映画はほぼ毎回それを守っている。

今回の映画について
情報をできる限り減らしていく方向に向かっているように見えた。名監督はある一定の年、あるいは作品の本数を超えるとその領域に入る。気がする。極端な方向にいくか、芸術によるか、要素を減らしシンプルにもっていくか、大体それだ。
今回の映画は色がない。モノクロである。シーンによってはほぼ真っ黒でライトが当たっている顔の一部だけが見えるシーンもある。音楽もなっていないシーンが多く、静かな映画である。映画館で見ると動作のガサガサ音が目立ち、それがさらに際立つ。アクションは二回しかない。一つは楽しいアクション。主人公と主人公の弟が、元は父が持っていた機械(昔に借りパクされた)を盗み返すために走り出す。会話が基本の静かな映画なんだ、とおもっていた時にこのシーンがくる。ワクワクする。このシーンはとてもいい。スクリーンが喜びに満ちる。観客も高揚する。ここで軽快な音楽がかかる。ここですごいなと思うのは、さらに次の笑いを生み出すところである。盗みに成功し車で走り出すと父が「あっここよく見たらあいつの家じゃない」「で、でも嫌な奴の家なんでしょ?!」「とんでもない、この家の人は戦争で苦労して子供もなくして、でも懸命に頑張ってきたとても素晴らしい夫婦だよ・・・」「・・・返さなきゃ!」と言った具合である。素晴らしい。
もう一つは悲しみと怒りのアクション。暴力である。いっちばんこの作品の中で主人公たちが打ちひしがれるシーン、絶望的でとても悲しいシーンのあとにこの暴力がくる。
アクションを制限することでこんなに際立つものか、と思った。印象にのこるとはこの事だ。
構図は安定している。車の中で前の二人を映すところなど本当に真正面?真後ろから撮っているのだ。アニメで絵に対する想像力のない人例えば俺なんかはよく書いてしまう。うまい人は斜め、奥行き感をだす構図を使う。
皆でテレビをただ見ているシーンもおかしかった。六人〜くらいの父の親戚が集まってテレビをただ見ているシーンが何度かあるんだけど、前の展開で「父の家族、家計は代々皆無口でねぇ・・・」という情報があるために1カット、皆がテレビの方向をむいて誰一人しゃべらないだけでもう笑えるのだ。監督は笑いがどういう時に起きるとかよく理解している。大爆笑ではなく、じわじわくる笑い、しかし確実にテクニックを駆使して脚本段階で入れ込んでいる。
例えば、主人公と主人公の従兄弟二人が会話するシーンで 従兄弟「○○まで何キロだ?」主人公「300キロくらいかな」「じゃあ二時間もあればつくな」「あのー・・・」(細かい数字は覚えてないが確かこんな感じ)という部分がある。これだけでも面白いが、初めて従兄弟がでてきたときに刑務所からやっと出てこれた〜みたいな情報が会話として観客に伝わっているのでさらに面白くなるのである。(さっきの刑務所ってそれ原因じゃねーの!?しかも反省してない、という) 観客にどういう順番でタイミングで情報を伝えて行くべきか、この凄いテクニックはどうしたら身につくんだろうか。

主人公の家に最近別れた彼女が荷物を取りにくるシーンがある。正直映画としては本当に珍しく、その人は魅力的に見えない、いや魅力的に見えない人をあえて使っているのである。けれども主人公はふられた事をずっとひきずっていて、もう・・・ああ!!!って思う。俺が。とても言葉にできないがああ!!!って思ってしまう。本当に、もう本当に心から信用できる監督だなって思う。
(ちなみにこのシーン、会話切り返しのところで主人公がカメラに近い、近寄ってくるが相手の女性に切り替わると女性はすごくカメラから離れたところにいる、この距離感の表し方うまい)

そして最後に、なぜ俺はこの監督が好きなのか改めて気づかされた部分がある。主人公が街の小さい新聞社にある用のため行くと、優しそうで笑顔が素敵なおばあちゃんがいて対応してくれる。会話の中でこのおばあちゃんが主人公の父と昔恋人であったことがわかる。このおばあちゃんの台詞回し、喋り方も本当に上品で素敵なんだ。「(主人公の母)とは恋敵だったの・・・私は敗者だけどね。でも私も素敵な旦那を見つけて今は孫もたくさんいるのよ・・・。」 
ちなみに主人公の母はなかなかに言葉遣いが悪く、事あるごとに夫や周りに突っかかる人物である。これがひっかかるんだ、この父の恋人が出てきた時に、父は人生で間違った選択をしたのではないか、っていう。間違った選択の象徴シーンなのでは?そしてまたああ!!って思ってしまう。これがほかの監督の映画にはない感覚だ。けれどもそうやって人生を振り返らせて終わる映画ではない。ちゃんと今と今までを肯定する作りになっている。主人公の父が親戚中から金の無心にあって困っている時、主人公の母がつかつかと歩いてきてファックユーといい放ち、父をつれ家から出ていく。バラバラに見えたシーンが全体で見るとひとつひとつ浮かび上がってくる。そしてラスト、どういった終わりを迎えたか?今までの人生と、これから。作り手は人生について考えさせ、見直させ、しかし優しい目線で映画を作る。
はっきり言って他のペイン作品に比べると情報の削り方で人によって見辛いところもあるかもしれないが、メッセージをはっきりと提示しないとわからない人には退屈かもしれないが、本当に素晴らしい傑作だ。韓国のイチャンドン監督は「映画には、人生を振り返らせるものと、没頭することで人生や現実を忘れさせるものの二種類がある」といった。ウルフオブウォールストリートは後者、今作は前者である。俺はどっちも作れるようになりたい。今回の作品で、アレクサンダーペインは自分のなかで より信頼できる監督になった。この監督とはもちろん話をした事などないけれど、きっと心の奥底の大事な部分は俺も同じものを持っている。この人の映画を見れば見るほどそれは確信に変わっていく。それが俺が映画を見続ける理由なのかもしれない。
アレクサンダーペインはサイドウェイという作品でアカデミー脚本をとって以降、長い間映画から離れていた。コメディドラマをプロデュース?していたらしいが日本では見られなかった。インターネットで調べ他の製作面でも関わった映画はすべて見た。この監督が少しでも関わりを持った映像はすべて見たかった。インタビュー記事も何度も見た。もう映画には戻ってこないのではないかと不安になったりもした。映画批評の本で名前を見つけるとおっわかってるじゃーん!と嬉しくなった。世間で忘れ去られても俺だけはずっと好きで尊敬していようと思った。そしてネブラスカ、いよいよ巨匠レベルへと一歩を踏み出した監督が、次にどんな優しい映画を見せてくれるのか非常に楽しみである。と共に俺もやらねばねーばねーばねばギブアップである(ラブライブ)。